「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」あまりにも有名な日本小説の冒頭です。基隆は雨の日が多くて、「堺の高速道路のトンネルを抜けると雨の港町であった」、といえます。2024年に基隆の雨の日は台南より100日も多くて、186日でした。

そして、佐々木俊一が作曲、原曲「赤い燈青い燈」、戦後基隆に関する台湾語の「基隆山之恋」という歌も名曲です。
港なので、「歴史」も長くて、大航海時代からスペイン人、フランス人、中国人から数多く遺跡が残りました。

九州に近くて、植民地時代に日本人もここに上陸しました。あと戦後無残な二.二八事件でも、中国からの兵隊の乱射事件も基隆で発生しました。雨が多くて、どこに行っても、建物は薄汚れて、昔の歴史を含めて、台湾歴史.文化のカプセルといえる町です。
🏝️和平島
昔(1626-1634の間)スペイン人は今「和平島」という島で、San Salvador de Quelungという城を建てました。のちにオランダ人が来て、スペイン人を撃って、自分の城Fort Noord-Hollandを建てました。それから、南中国の海賊鄭芝龍と長崎のサムライ田川七左衛門の娘松と結婚して、生まれた子=鄭成功(Koxinga)の息子=鄭経はこれら南蛮人を撃って、領主になりました。この時代の遺跡はスペイン諸聖教堂考古遺跡が残りました。自然な和平島自体も観光地(地質公園)です。
ちなみに、近松門左衛門1715年の劇 『國姓爺合戰』の主人公は鄭成功(Koxinga=國姓爺)です。国姓は国(中国明朝)の帝王から苗字=鄭を賜りましたので。
🕊️清仏戦爭記念園区
大航海時代に台湾に野心を持つヨーロッパ諸国の中に、フランスは1884-85年に中国(清朝)と戦争して、敗れました。戦死者は基隆に埋葬されて、のちこの記念園区になりました。当時フランスのクルベ-提督の記念碑も建てられました。
ほか二沙湾砲台(海門天険)白米甕砲台、大武崙砲台など、清国時代の遺跡も多くて、興味があったら、観光に行って下さい。(続き)
